老老介護:ダブルケア2024/8/7母が永眠しました

両親・家族
老老介護 ダブルケア パーキンソン病

2024年8月7日 20:20ごろ 母が永眠しました。

   

私にとって母は強くて逞しい人

股関節を骨折しても大腿骨を骨折しても

自力で歩けるようになり復活してました。

だから不死身に近い存在でまだまだ生きていくと思っていました。

  

7/17 高熱と誤嚥性肺炎で施設から病院へ入院。

この時点でも療養すれば回復して

「あ〜タルトケーキが食べたい」

って言いながら退院するものだと思っていました。

  

しかし、入院から10日後、急変。

肺の炎症が右肺だけでなく両肺に広がり

白血球の数は異常に跳ね上がり

医師から「精神力だけで生きてる」と不思議がられました。

  

現在、病院では面会中止となっている中

私たち家族だけ面会が許されました。

面会許可がおりた初日と翌日までは

酸素マスク越しですが会話が出来ました。

今となっては本当なのかわからないですが

「昨日、アイスを食べたのよ♪」と嬉しそうに

そして「新しい病気になっちゃったの」と

茶目っけ、たっぷりに言ってました。

  

急変の連絡を受けた5日後、

医師から「この2日間が山」と

母の病室で告げられました。

私が泊まり込み、日中は父と弟で交代し

その2日間も大きな変化はなく過ぎていきました。

  

しかし抗生剤を変えても肺炎の症状は

改善されず、呼吸することがどんどん小さくなっていきました。

見ていて息するのが苦しそうだから

「ラクになってもいいよ」っていう気持ちもありつつ

でもまだ死なないと思っている複雑な心境の私がいました。

  

8/6は父が泊まり込みました。

母の隣で寝たのは実に1年半ぶり。

施設入居以来のことでした。

この日もずっと数値が安定していて

次の日の午前中も安定していました。

少しずつ快方に向かうのではないか?

と錯覚するほどでした。

  

8/7午後からは弟のお嫁さんが

付き添いをしてくれて午前中同様に

状態、数値がずっと安定してました。

お嫁さんが帰ろうとした夕方に急変。

  

酸素濃度、血圧、心拍数ともに低下

今まで見たことのない数値まで下がってました。

大好きだった美空ひばりさんの曲を

聴かせたら涙を流してました。

手も口も動かせない状況でしたが

しっかりと耳は聞こえていて

それに反応しました。

  

弟が会社から駆けつけ母と会ってから

30分ほどで母は息を引き取りました。

ちゃんと会いたい人に会って

家族に看取られていきました。

  

本当に最後は穏やかにあっと言う間に

息を引きました。

その息を引く瞬間をこの手の中で

体感することは何とも言えない経験。

母が亡くなったという事実、

死ぬということを母が最後に自分の

生き様を私に見せてくれたと思うと

やっぱり母は強くて逞しい人なのです。

 

また来世でも会おうね  

面会初日の母の手
枕経のためお寺さんへ そこに咲いていたお花
棺の中にたくさんの花を入れました とっても綺麗でした
母の好きな色 紫 父曰く、美空ひばりさんが好きな色だったからなのでは?とのこと

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