父が緊急入院 2/5
父は今から4年前、心臓の大動脈瘤の手術を受けました。
所要6時間超えだったかな?
この時の手術もハードで命が消えてしまう可能性も高かったです。
その頃の様子はこちら↓↓
老老介護・ダブルケア〜父:心臓肥大で12/2〜4までカテーテル検査入院、来月手術すること決定 〜
父は、その手術から生き延びて毎年、1年に1回定期的な検診に通ってます。
順調に回復して、元気でいたので検診に行くのも一人で行ってました。
1/27 今年の検診日も一人で行ってました。
ただ、昨年と違ったのは肺の異常が見られ、肺の状態だけではなく
腎機能も何かあるかもしれない?ということで
診療科を渡り歩くことになりました。
肺に関しては呼吸器内科。腎機能に関しては腎臓内科。
同じ病院でカルテを共有できることは良い点ですが
なかなか検査→診察までが長くて、待つだけで父が
疲れていました。
肺に影がある。→おおごと とは本人は感じておらず
「なんか膠原病の疑いがあるってことで再検査が必要だって」と
軽く1/30 に電話してきて次の日再検査をしに病院へ一人で行きました。
この時に一緒に付き添っていれば、もう少し早く医師の見解が聞けて
良かったなぁと私は後から思いました。
というのも、父は痛みに耐性がある、我慢強い、弱みを見せない、
娘の私に迷惑や心配をかけたくない、そんな思いが強いことを
知っていたにも関わらずだったので余計にそう感じました。
2/5 再検査の結果を聞きに一緒に病院へ
実は、この日も一人で行ける!と頑なだったのですが
なんとなく気になってタクシーに乗って二人で向かいました。
診断結果を聞くだけかと思っていましたが肺のレントゲン検査、
尿検査、血圧を測り診察までいくのに1時間半ほど待ってました。
最初、腎臓内科で診察結果を聞くと
「膠原病ではない。腎臓の機能は徐々に悪くなってきている状態。
ある意味、老化現象」ということでした。
それほど悪くないのだと思い安心しました。
ここから1時間半以上また待合室で待ってました。
父はどんどん「疲れた。横になりたい。待たせ過ぎ!」と
疲労感とストレスでいっぱいになってきていました。
その後、ようやく呼吸器内科診察へ
早速、酸素濃度を測ると75
え!!
80台でも苦しいはずなのに75って!!
それはしんどい・・・
あ〜一番近くに居た私がこういうしんどさを
もっと拾っていたら・・・
もう少し早めに呼吸が楽になったのにな・・・
そんなことが頭をよぎる
酸素吸入の管を鼻に付けて、少しずつ
80台に上がっていきました。
緊急入院が決定。
ここからは車椅子移動。
先ほどまで自力歩行していて、足が動かないわけではないので
自分で車椅子を動かそうとして・・・
それを止めるのに忙しくなる私がいました。
動かしたい!気持ちはわかるけどね。
他の患者さんにぶつかる可能性もあってやめてもらいました。
弟に一報を入れておこうと連絡したら
「今日たまたま休みで家にいるから後で病院に行くよ」と返信
なんて!タイミングが良いんでしょう!
追加の検査、CT検査、心電図、血液検査、感染症検査を済ませて
入院手続きも終えて病棟に案内されたのが15時過ぎ。
父、しんどいながらもよく頑張りました。
ようやく横になることができました。
弟もやってきて、呼吸器内科の担当医から病状の説明を聞く。
膠原病ではない。
1/31の肺の影が今日は広がってきてる状態。
間質性肺炎。心不全も併発してる。
入院をして抗生剤、ステロイドなどを投入する治療をしていくが
効き目が現れない場合には病状が悪化してあっという間に亡くなる
可能性もあります。
まずは、酸素吸入しながら点滴で病状の経過を見ていくことになる。
医師は淡々と話しながらも
「死をも覚悟してくださいね」と伝えてくれました。
もちろん、ハッキリと死という言葉を使ってませんが、
高齢ということもあり、必ず薬剤が効くと断言できない状況。
とても的確に簡潔にお話ししてくれたと思います。
半年前に母の死を体験しているので、そう遠くはない父の死を
覚悟できた瞬間でした。
まだ、いなくなったわけでもないけれども
家に帰ってきてから泣いて泣いてしまいました。
泣いて泣いて いいんだと思います。
母の時、悲しさや寂しさを感じていたけれども
やるべきこと=葬儀屋さん、お寺さん、あちこちに連絡など
これらで悲しみや寂しさに蓋をしてしまった気がします。
母の時は、死ぬって思ってなかったこともあると思います。
実感がなさすぎて、泣けない私になってしまっていたかも。
悲しみを知る私、これもいいんだよ。
みんなと同じようにいつも笑っていなくちゃいけない訳ではない。